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詰将棋作家の見た世界
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HN:
首猛夫
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2024/04/29 (Mon)
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★2007/10/08 (Mon)









<打診問題(その二)>

打診問題の違うパターン。
是非解かれることをお勧めする。
なぜって?

作例が非常に少ない作品だから。
これも、詰将棋パラダイス大学に掲載された作品の例によって原理図。

わたくしとしては、復帰第一作のようなもの
「新手」と確信したが前例があると神谷薫氏に指摘された。

しかし、その神谷氏が「盗用ではなく、首氏自身の手によるもの」と言ってくれたのがすごく嬉しかった。

オリジナリティはわたくしのもっとも大切にするところだからである。


   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


こうして毎日のように、変わった話を書いて、これを読んでいる方は当惑気味ではないかと思う。
まあ、たまには固い話もいいではないか。

たいていの場合、こういったブログなどでは、どうでもいいような話が多いような気がする。
流行・習慣・失敗談・薀蓄・・・・
こういう読んでいる人に牙を向けずに、安閑として読んでいられるものは、人気があるだろう。

反対に、読む人がどきりとさせられたり、思わず自分自身を考えさせられたりするものは、好まれないように思う。

日本の新聞の、コラムや気の聞いた風刺のような一文はたいてい季節の話や、草木の話などがやはり多い。

中立公平とは名ばかりで、単に腑抜けだというのは言葉が過ぎるか。

そこへいくと、わたくしのこのブログは、毒がありすぎはしないかと不安になる。

今夜は、日本は独立国家ではないという、わたくしの知り合いの外国人の意見を載せたい。

『まず、国家とは、国民がいて、憲法があって、軍隊を保有する。
税金が徴収され、国民の健康と安全、意欲のある生活がのぞましい。
そこへ行くと、軍隊はアメリカに頼り、憲法は押し付けられたもの、国家も国旗も愛さないものが多いこの日本という国は、アメリカの51番目の州に過ぎない。
それが証拠にアメリカ大使館のHPに掲載されている、日本に対する要望書(和訳もちゃんと載っている)通りのことが、数年後には実現している。

郵政民営化は小泉元首相が望んだわけでも、国民が望んだわけでもなく、アメリカとその後ろにいるアメリカの資本が市場開放として望んだに過ぎない。』


まあいろいろな反論や異論があるところだろうが、少なくとも海外の人々は、日本という国家に対する日本人のアイデンティティの弱さに驚きを感じているということだろう。

わたくし自身は、国家も立派なまぼろしだから、そんなものは早くなくなってしまえばよろしいと思う。

国家がなくなったところで、緑も自然も美しい大地も無くなりはしない。
異なった形態で、人々の安全や安心健康を守るシステムを作ることは可能だと思うが・・・・


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★2007/10/08 (Mon)










<二歩禁問題>


さて、この作品は「打診問題の原理図」から発展したもの。
出題図からは、56飛成りと成る一手だが・・・。











<第1図>


何と、第1図から56飛成に、46香打ちが正解。
これには驚かれたかもしれない。
最も実力者には、一目かなあ。

では普通に46歩と打ってはなぜダメなのか?











<第2図>


第2図からの手順は、先日の説明で読んだとおり、右方向の矢印を押していけば一手一手進む。

龍で、45香を取り、と金で押して、取った香を37に据えて、角を打つ。











<第3図>


さてここで、前回原理図で学んだことが役に立つ。

第3図からは、44歩と打診合をするはずだったのだが、あいにく二歩!
仕方がないので、35角中合だが・・・

前回の原理図は、35の地点を支えているのが詰方の「46と」だったので、最後は36角と打てて簡単な詰みだった。

しかし、今度は「37香」なので36角と打つと35玉と逃げ出される。











<第4図>


そこで、14から清算して、13角成~16金まで詰む。











<再掲第2図>


そこで、46の合を将来の打診が歩で済むように、香にする。
再掲第2図から、同様に進めて第5図。











<第5図>


今度は、53角に44歩の打診が出来て、以下手数はかかるが簡単に詰む。
収束は、原理図とまったく同じ手順だ。

本作は、原理図に少し手を加えて、「二歩禁」を主題にしてみた。
このように原理図が出来上がると、それに関して主題を選ぶことが出来る。

本作も、この原理図を使って何か別の表現が可能かもしれない。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


いよいよ、明日にはわたくしのガンの進行の度合いと、治療方針が決まる。
何か裁判の判決が出るみたいで、どうもいけない。
こういうことは良くも悪くも早くも、知りたいし、決めたい。


さて、こういうガンになったり難病になったりすると、横のつながりをもとうとうする人々を多く見かける。
もちろん、難病などでは、互いの支援や助言が重要な要素であることは論を待たない。
がん患者も同じだろう。
それぞれの身に振ってわいた運命が、たとえ固有の物であっても、似通ったもの同士相互扶助の精神から、近づくのだろう。

わたくしにはそれがどうもうまく出来ない。
わたくしは、がん患者であることは間違いないのだが、そうであれば、50代であり、日本人であり、男であり、詰将棋作家であり、父であり、子であり、夫であり、・・・・。

その一部がたとえ特殊であっても、横のつながりを持とうとは思わない。

もちろん、ネットなどで、がん患者の気をつける点や、抗がん剤の副作用のことなど、自分の身にこれから起こるであろう様々を先に知っておきたいという気持ちがあって、いろいろ調べる。

が、しかしがん患者同士で行進をしたり、何らかの運動をしたりはしない。

そういうものがたりを描けないし、もし描いたら、がん患者であることに限らず、いろいろなもの、それこそわたくしの属性すべてに運動をして働きかけをしてと、くたびれてしまう。


やはり何かが欠けているのか、あるいは過剰に持っているのか・・・・
★2007/10/08 (Mon)










<二歩禁問題>

※この図面は、下の矢印などがある場所で、使い方は次の通り
 
 右から順番に

★回転(盤面を逆さにする)

★縦線が右についていて右方向を指している矢印(最終手まで一気に行く)、

★単なる右方向を指している矢印(次の手に行く)

★四角(手の解説があるときにここに!マークが入り、それを押すと盤面全体に解説が覆うように出てくる)

★単なる左方向を指している矢印(前の手に戻る)
縦線が左についていて左方向を指している矢印(初手まで一気に戻る)、

★「GO」この左横に数字を入れて、この「GO」を押すと、その手数の局面に飛ぶ


昨日の、打診問題の原理図は上の図のようになった。
この作品は、やはり詰将棋パラダイスの短大に投稿採用された。

少しむずかしいかも知れないが、がんばって解いてね。

あ、それと「般若一族とその時代」も新たに更新したので、そちらも見てね。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


幼い頃から、どうやら自分は他者と異なるところがあって、うまくいかないということは感じていた。
それは時には、「出来ない」とか「相手にされない」とか、あるいはまた「毛嫌いされている」と言うような形で表われ、他者と異なると言うよりは劣っていると言う自覚に近かった。

それがやがて、高校生あたりになると、どうもこの世の中の様々なものと波長が合わない自分を感じ始めるようになった。

高校をやめて、音楽家として仕事をして、しばらく独りになって、やっぱり他者とうまくやっていくのは無理と判断した。

それは、まるで異なった宗教の世界で生きているようなものかもしれない。
少なくとも日本人の描いている(わたくしは海外の人が描いているものがたりをよく知らなかったので)ものがたりには、同調できない部分が多かった。

もちろん、同調できないのは、普通の人々ならそんなに学習しなくても、幼い頃に刷り込まれた諸々で何とかできることが、わたくしには出来なかっただけのこと。
何か特別な主義や主張があって、日本的なものがたりに反発していたのではない。

例えば、謙虚さの美徳がわからない。
例えば、ただいたずらに歩調を合わせようとすることが出来ない。
(部長・課長・平社員で食事に行った時に、部下が上司より高くて豪勢なものを頼まないのが普通だとか、会議などで何か質問はと言うと、そこでは質問しないであとでこっそり聞きに行くとか)

こういうものは、おそらく何気なく幼い頃から刷り込まれたものだと思う。
こういう話を以前何かの場所で話したら、そんなことはない、みんな自分の意見は言うよとか、食べる時は好きなものを頼むよとかの返答が多かったが、実はその場になると違う。
こういう二枚舌も日本人の本音と建前と言う世界でこれもよくわからない。

とにかく、身なりや身だしなみと言ったものにもまったく関心がなく、今でも小麦粉やミルクのあとがついたズボンで毎日保険の営業に行っているが、誰一人としてそれを指摘するものもいないし、面倒だからそのままにしている。
51にもなるが、生まれてから、髪に櫛を通したこともほとんどない。

こういうわたくしには、日本人(わたくしの周りの人々という言い方のほうが正しいかな、とにかく外国人はまた違うのかもしれないがおそらく同じだろう)の描くものがたりの「ウソ」が見える。

なぜかと言えば、わたくしには必要ないものが彼らには必要で、しかもそれがなくてもわたくしは何とか生きているのに、彼らはそれがないと生きていけないと言っている。

たとえば、それは「差別」だ。

差別はいけないとされているが、一向になくならない。
なぜかって、それは「差別」は人類にとって必要だと思われるからだ。
少なくともわたくしの周囲=日本人には必要不可欠のようなものだといえる。

だいたい「~のくせに」という言い回しは、大体差別に繋がっている。

そうして、いけないとされながら消えないのは、「差別」することによって救済される「自我」があるからではないかと考えられる。

卑小で下らない「自我」を支えるために、もっと卑小で、もっと下らない「他者」を見出す。

そうしないと不安で不安で仕方がないんだと思う。

わたくしはその不安を、より「下等な存在」を見出したところで解決できないので、そのような「差別」不要なのだと思う。
それはおそらく、幼い頃の教育のなかで刷り込みに失敗したか、何かの原因でうまく刷り込めなかったために、起きたことだと思われる。

「差別」がこの世からなくなるためには、それを必要としない「自我」のあり方を検討しないといけない。
★2007/10/07 (Sun)









<打診問題の原理図>


「打診」は、打歩問題に絡んででてくる。
大駒で王手をされた場合、普通に考えると二つの選択肢があったとする。

例えば上の図で、53角と王手された時

A=16玉と逃げる手   ⇒17歩~35角「成」
B=35角と中合する手  ⇒35同角「不成」~17歩~36角

と、相手(玉方)の態度によって、こちら(詰方)は「成」「不成」に分けて対応する。

それならば一旦、詰方の角に「成」「不成」の態度を聞いてみようというのが打診合。
この場合、44歩がそれに該当する。
さてそれでは、手順を追って見てみよう。











<第1図>


最初に書いたとおり、53角に対して、16玉と逃げる手は、17歩、25玉、35角成までで簡単。
だから玉方は、この35角成を消すために、35へ接点中合する。
しかし、歩は二歩で×、前に進むコマは、取って17へ打って詰み、桂も取って28へ打てば詰む。
従って、第1図からのように35角の中合となるのだが・・・











<第2図>


第2図は初手から、53角、35角中合、とした局面。

ここから、35同角「成」、とすると、以下
16玉、25角、同金、17歩、15玉、25馬、同玉で詰まない・・・

そこで、第2図から、今度は不成で・・・











<再掲第2図>


今度は、第2図から、

35角「不成」として以下
16玉、17歩、25玉、36角まで。

あれれ、今度は簡単に詰んでしまった。
そこで冒頭のように、44歩と中合して詰方の角へ「成」「不成」の態度を打診する。











<第3図>


第3図は初手53角に44歩と態度を打診した中合。

まず打歩詰の局面が出てくる可能性があるので、
44同角「不成」といってみよう。

すると、第3図以降の手順を追っていただければわかるが、
44同角「不成」以下

16玉、17歩、25玉、35と、26玉、46と、36玉・・・
これは詰まない。

だから、44同角「成」といくしかない。











<再掲第3図>


再掲第3図から、今度は

44同角「成」、35角中合となる。

ここでも最初の時と変わらず、44同角「成」に16玉と逃げる手や、他の合駒は簡単。











<第4図>


第4図以下は、先の第2図からの逃れ手順と同じように進む。

すなわち、35角中合、に35同馬と取り、以下
16玉、25角、同金、17歩、15玉、25馬、同玉となって第5図











<第5図>


先の逃れ順と違って、打診で入手した、歩一枚がものを言う。
第5図以下は、

26歩!(値千金の一歩)、同玉、16金まで。

どうだろうか?
打診と言うものの原理がわかっていただけただろうか?
今回は、44の地点で成る成らないを聞いた。
これは、44の地点で一旦不成と行けば、もう二度と成れないことを見越しているのだが。
実は、場所に関係させると、例えば62角と打って、53へ打診合を成立させることも出来る。
事実そういった作品も発表されている。

この原理図を使って、わたくしはどう発展させたか、それはまた明日のお楽しみ。

   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

以前にも、詰将棋パラダイスのパソコン奮戦記に書いたが、わたくしたち人類にはおよそ二つの発達段階があったと思われる。

まずは、農耕文化の獲得によって余剰生産物が生まれ、階級や序列が出来上がったこと。
これによって、人類は現代の社会に近い人間の「位置」を獲得したと考えられる。
これは、自我そのものの不安をどのように解消するかと言う人類の永遠のテーマに、社会的な回答を示したものと言える。
自我はもともとそれを信じている人々に有効な「概念」にしか過ぎない。
確かにわたくしも、これを読んでいるあなたも「存在」しているが、例えば数千年前のある人を現代に連れてきたらどうなるか?

その人が「存在」しているのは、社会的な関係性のうちに認められた諸々によってである。
その諸々のものがこの現代にはまったくない上に、連れてこられた彼や彼女が自身を認める「概念」がないので、「存在」を示すことも、感じることも出来ないだろう。

だからわたくしたちが「存在」しているのは常に、何らかの形で社会的な諸々と触れてきているからに過ぎない。
その社会的な諸般は、自我を支えるためのものであり、それがないと自我は存在しなのと同じである。
そういういつも不安定な危機にさらされている自我の「場所」を社会は階級・序列などで示してきた。
そういう階級や序列は、自我が引き受けにくい様々なことを自身に言い聞かせるためにも必要な事項であったと思われる。
事実現代でも、その事情は変わっていない。

次に、人類が獲得したのが近代的自我である。
何気なく、わたくしたちは「あなたの意見を聞かせてください」とか「わたくしのかんがえは・・」などという言い回しをしているが、そんなものはこの近代的自我という概念が生まれるまでは、ほとんど存在しないのと同じだった。

西欧においては、すべてが神だった。
この世界も作ったのも、そうしてこの世界に終わりが来るのも、すべては神の意思であり、神の前ではわたくしたち人類は実に卑小な存在でしかなかった。

そこへ、ルネッサンスが起こった。
今まで、神の物語の絵を描いていた宮廷画家たちは、徐々に消えていき、「自画像」を描くものたちが現れる。
神の物語を歌にした宮廷音楽家に取って代わっていったのは、己の苦悩を管弦楽にたたきつけたベートヴェンを始めとした新たな世代の音楽家たちだった。

そこには、近代的な自我の萌芽があり、村は町へ、町は都市へと肥大するにつれて、自我の問題は大きな転換期を迎える。
ペテルブルグの巨人ドフトエフスキーは、その癲癇体質の向こうに、自我のほころびや崩壊を予言したと言っても過言ではない。
様々な分野で、自我の問題が予見され、現代の先駆が問題を提起していた。

そういった、文化的時代的背景を背に、わたくしたちは何気なく、自分であること、自分を確認することを、行っている。
しかし、その自我の獲得や維持に実は膨大なエネルギーを費やしている。

階級や序列の誕生と、近代的自我の誕生。
ふたつの物語が合体して、「国家」「宗教」「民族」等々の概念が作られ、わたくしたちは自分自身を自分であると確信している。
しかし、それは実に危うい均衡の元で成立しているに過ぎない。

そして、それに費やした対価か、いま重石(おもし)となってわたくしたち自身に圧(の)し掛かってきている。



★2007/10/07 (Sun)









<打診問題の原理図>


図は、わたくしが投稿・入選した作品の原理図。
詰将棋パラダイスの短期大学に入選した。
そのころ、打診に凝っていた。

作品を見てもらう前に、原理図を考えてもらいたい。

他の作家の作り方はわからないが、わたくしの場合、まず原理図がある。
その原理図が、最小のエンジンで最大の動きを示してくれると、良い。
この原理図は割合にエネルギー効率?が良かったほうで、可能性を感じた。

専門的な話で恐縮だが、このエンジンの外から、様々な遠隔操作が利きそうなので、発展する形と感じたのだった。

優れた作家の、構図の取り方は、もっとすさまじく、最小のエンジンの中に、キチンと収束までもが盛り込まれている。
あらかじめ設計されているのである。

ただしそういう局面は経験的に滅多にあるものではないと知っている。
だから優れた作家=多くの散策を詰将棋の世界で行った人と言える。

このような詰将棋の世界の中での散策は、短時間にすばやく様々なものを感じ取る、精密で濃縮された感性や知性がないとむずかしい。

おそらくそれは、詰将棋を肌で感じ取った最初の年齢に大きく関係していると思う。
もちろんそれが十分条件ではないと思うが。


  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


十中八九ガンだろうと言われたのが9/21。
99%進行がんと言われたのが9/26.
それ以来、検査は全部で4回。
その間、投薬等の治療行為は一切ない。

詳しいことがわからなければ、治療の方針も定まらないと言う説明は良くわかる。
しかし現実に自分の内臓にガンを抱えて、毎日何の手立てもせずにこうして仕事をしたり、ブログを書いたり普段と変わらない生活をしている。

このごろ良く笑うこともあるし、仕事柄、自分がガンでおそらく10月下旬から11月上旬まで、入院手術になると、お客様に伝えてある。

そうでないと、何で電話が繋がりにくいのか?
緊急連絡なんだが・・・

と言うことになりかねない。
もちろん、スタッフもわたくしがいない間にいろいろ動いてくれるので安心だが。

だからがん患者といっても、深刻なのは診断が下され、治療行為が始まってからなのだろう。
抗がん剤の副作用や、手術後の体力や免疫力・抵抗力の低下。
こう言ったことが、QOL(Quality of Life=どれだけ人間らしい望み通りの生活を送ることが出来ているかを計るための尺度)を維持できるかと深くかかわっている。

まあ、とにかく最善を尽くすだけだが、それはもうちょっとやっておきたいことがあるからで、それが済んだら対してこの世に未練もないのかもしれない。

生きると言うこと、死ぬと言うことにかんして、宗教や哲学とは余り関係のないところで、論じられることが少ないのではないかとふと思ったりもする。


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★ ILLUSTRATION BY nyao