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詰将棋作家の見た世界
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HN:
首猛夫
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2008/03/21 (Fri)

対人関係がうまくいかない時期があって、人を避けるようになった。
個人的な付き合いの中で、「文化」の違いが厚い壁となった。
アスペルガー症候群のような症状が幼い頃からたくさんあって、個人個人が個性的というレベルを超えて、変わった子供だったようだ。

しかし、わたくしの仕事は保険代理店で毎日のように人に会ったり、電話で話したりする。
まあ、そういう付き合いなら何とかこなせたのかもしれない。

結局、昨年ガンになって、いわゆる外回りが出来なくなり、電話でのやり取りが生命線となった。
毎日、ほとんど外出せず、銀行や郵便局、自分お買い物のためのスーパー通い。
それらがほとんど一箇所に集まっているので、昼頃一度出かければ用は足りる。

郵便配達や、宅配メール便などが主な来訪者だ。

そうして日長、事務所兼住宅にいて、好きなジャズやらブルースを聴いて、過ごしている。
隠遁者のように、ほとんどの個人的な付き合いを避け、「避難所」で暮らす毎日。

楽しい映画や笑いの絶えない面白いものを観ながら、免疫力を上げ、ガンと闘う。
「避難所」暮らしも中々いいものだ。


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★2008/03/12 (Wed)
突然、詰将棋パラダイス社の水上社長から電話がかかってきた。
たいてい、この時期だと原稿の催促である。
しかし今日は違っていた。

京都の上田氏から首さんに連絡を取りたいということらしい。
まあ昨今の個人情報保護からいって、簡単には教えられないということで、わたくしへ了承の確認を取るための電話だった。

京都の上田氏・・・
そうまさに世界の上田さんである。
日本の詰将棋界でほとんどのことをやりつくし、チェスのプロブレム、否独自のパズル世界へ行ってしまった彼は、未踏で無人の荒野を一人歩いている。

そこには、後に続く者がいないほどの洗練されかつ高度で緻密な作品群が並んでいる。

そんな上田さんとわたくしには奇妙な接点がある。
数年前に、所用があってふらりと行った京都。
ここに来たからには上田さんに会おうと、決めていた。

そして彼の家の近くの喫茶店で、何と6時間もの間、
ずーっとパズル談義である。
とにかく面白くて面白くて、絶えず大笑いだった。

あんなに抱腹絶倒でしかも脳の髄まで刺激を受けたことはあまりなかった。
般若一族の黒田氏以来だろう。

そしてどうして今回わたくしに上田さんは連絡を取ったのかというと、何やら新たな地平が見えてきたらしいのである。

そんなときに、わたくしに見てもらいたい、話しておきたい、そんな風に思って下さった。

その背景にあるのは、詰将棋パラダイスに掲載された「パソコン奮戦記」だ。
このわたくしの書いているコラムに、わたくしがガンであり、一時は余命一年と宣告されたことなどが書かれてあったのだが、それで上田さんは少し焦ったらしい。

しかし何という幸福なことだろうか。
世界の上田さんから、指名を受けたようなものだ。
しかも、わたくしが京都に行くのが難しいと言えば、何と東京に行こうかとまでおっしゃられた。
上田さんにも仕事やらプライベートでの忙しさなどがあり、固辞して何とかわたくしが行くように、お話ししたが、天にも昇る気持である。

彼の新たな地平が見えた作品とその解説やその作品群を賞賛した論文などが、わたくしのところへ郵送される。

さあまた忙しくなるぞ!

★2008/02/24 (Sun)
人は苦しいときや悲しいときに、心の代償を求める。
そうしなければ次に進めないからだろう。

その心の代償をあらかじめ想定して、様々な「用意」を人類はしてきたのだった。
例えば、宗教や司法制度などは、人の生き死に対して、理念や処罰などを以って、対応してきた。

恐ろしいのは、このような解決策が基本的にはある種の刷り込みで行われることだ。
ある地域に生まれ育ったものは、その地域の宗教を信じて、それを支持する。
もしそうでないと言うなら、宗教は世界的に均等あるいは一定程度の分布的布教を遂げているはずだ。

しかし現実的には、イスラム圏にはイスラム教徒があふれ、欧米にはキリスト教徒があふれている。

ということは、所詮宗教なんてそんなもの、親や育った環境からから刷り込まれているに過ぎない。
それが唯一正しいと信じられるほど、便利なものはない。
なぜか?

それは心の代償行為がそこにあるからだ。

例えば、子供が死んだ。
それが、不治の病だったら?
誰を恨む?

それが、異教徒の自爆テロだったら?
復讐に走るだろう。

つまり、心が苦しくなった時に、そこに何らかの代償行為の道があれば、まっしぐらに行く。

わたくしなら、親しいものが死んだとして、それに何ら代償行為を求めないだろう。
ただただ悲しくて悲しくて、悲嘆にくれるだろう。

なぜなら、心に代償を求めるのは自分のためであり、それをあたかも死んだものの復讐とか敵とか、供養だとかの「偽装」をしてまで、行わなければならない理由がわたくしにはないからだ。

それは、もともとわたくしにとっては、感情を何かに結びつくものではなく、ただただ自身の中で泡のように漂っているものだからだろう。

なぜ人類が感情までも社会化したり対象化したりしてまで、自我を守ろうとするのだろう?
それはきっと、苦しみを解放する方法を共有化することによって、自己不安を一掃したいからではなかろうか。

そういう、基本的な存在にかかわるようなところでの議論は常に省かれて、いつの間にか前提になっている。

わたくしのような存在は、きっとほとんどの人類にとっては、前提を覆されかねない厄介なものだろう。

★2008/02/14 (Thu)
日本人ほど、海外の文化や風習に対して柔軟な民族はいないのではないか。
バレンタインデーやらハロウィン・クリスマスやら、とにかく自国にはあまり関係のない催しをするのが好きだ。

そこに商魂の影が潜んでいるのは言うまでもないが、それに簡単に踊らされているところを見ると、むしろ柔軟といった方が良いかもしれない。

反対に日本古来の伝統と文化は今となっては、海外からの移住者の方が重んじているような気がしている。

繁華街の料理店を見ても、中華、和食、洋食、それも世界中の料理が食べられるといっても過言ではないだろう。
とにかく、文化や伝統に関しては雑食・大食いの類であろう。

数千年の歴史と伝統文化がありながらこのように柔軟なのはなぜだろう?
この柔軟さは、実は江戸末期頃から始まったのではないかと思っている。

それまで鎖国政策を取っていた江戸時代には、多少の文化文明の移入はあったにせよ、今ほどではない。

むしろ、ペリー来航以来、コンプレックスからなのか、異常とも思えるほどに欧米文化を次々と取り入れてきた。

その延長上に今の多国籍文化?ともいえる世界中にあまり例を見ない事態になっているのではなかろうか。

もちろん、第二次世界大戦の敗北以降も同じように、他国の文化文明を取り入れるのに躍起であった。

そして、日本が今となっては世界をリードする技術・文明を持っているのに、他国がそれを日本ほどまねないのは、自国の文化に誇りを持ち、安易に生活風習を変えないからであろう。

と、すると、一体日本人は何にアイデンティティ(自己同一性)をもって、日本人となっているのであろうか?

そして、この安易さは柔軟さにつながり、意欲的に他国の文化文明を無差別的に取り入れたおかげで、世界大戦敗戦後の復興につながったともいえる。

不思議の国、日本。

★2008/02/13 (Wed)
沖縄が怒っているという。
アメリカ兵の少女強姦事件だ。

これがわたくしにはどうしても理解できない。
男が、少女を強姦する。
このような事件は毎日、日本のどこかで起きている。

昨日も書いたが、残念ながらわたくしたち人間は、それほど立派ではないから、浅ましく下らないことを繰り返している。
強姦された少女の身体や心の傷は、中々癒えることがないだろう。
そう思うと罪に深さを思わずにはいられない話で許されるものではないだろう。

しかし、今回はこれが沖縄の在日米軍の兵隊だと言う意味において、他の強姦事件とは違う扱いとなる。

これが、どうしても理解できないのだ。

これをそんなに取り上げるのなら、東南アジアや世界のあちらこちらで、「円」の札びらを切って、少女を「合法的」に買春している日本人の罪は問われないのだろうか?

何も米兵やアメリカの味方をするわけではないが、日本人は分裂していないだろうか?
片方では、日米安保条約で、アメリカ軍の日本駐留を認め、戦略的に戦争に加担しているにもかかわらず、そのアメリカ軍を憎んでいる。

だからこのようなことがあると、他の強姦事件と違って大騒ぎする。

そんなに嫌なら、アメリカ軍に出てってもらって、自衛隊と詐称する軍隊を増強して防衛を考えなければならないだろう。

そうなれば当然徴兵制度も行われるだろう。
そのようにしていないのは、世界でも日本だけではなかろうか。
(ちなみに永世中立国を宣言しているスイスでさえ国民皆兵制を布いていて、ほとんどすべての家庭で銃を装備している)

片方では、そういう戦争加担(イラク戦争での戦費負担など)を正当化して、自分たちは平和を唱えて、憲法を守れなどと嘯いているが、裏では札びらで傭兵を雇っているに過ぎない。

その傭兵になめられている、現実の姿が少女強姦と言う形で現れたので、それを躍起になって、追求している。

みっともない行動ではなかろうか。
少女強姦はそれだけで十分に大きな罪であり、許されるものではない。
しかし、それを政治などの場で語られるのには何らかの意図があり、その意図は上のように、分裂した日本人のゆがんだ姿をあらわしている。

沖縄の人々にしてみれば、本土の人間は、自分たちの汚い部分をこちらに押し付けて、との思いもあるだろう。

いずれにせよ、この世の様々な矛盾や問題を、何かに押し付けて、心の底ではそのことを気に病んでいる。
そのような分裂した人格には、こういったおかしなことが起きるのだろう。
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★ ILLUSTRATION BY nyao