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詰将棋作家の見た世界
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首猛夫
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職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2007/10/07 (Sun)









<打診問題の原理図>


「打診」は、打歩問題に絡んででてくる。
大駒で王手をされた場合、普通に考えると二つの選択肢があったとする。

例えば上の図で、53角と王手された時

A=16玉と逃げる手   ⇒17歩~35角「成」
B=35角と中合する手  ⇒35同角「不成」~17歩~36角

と、相手(玉方)の態度によって、こちら(詰方)は「成」「不成」に分けて対応する。

それならば一旦、詰方の角に「成」「不成」の態度を聞いてみようというのが打診合。
この場合、44歩がそれに該当する。
さてそれでは、手順を追って見てみよう。











<第1図>


最初に書いたとおり、53角に対して、16玉と逃げる手は、17歩、25玉、35角成までで簡単。
だから玉方は、この35角成を消すために、35へ接点中合する。
しかし、歩は二歩で×、前に進むコマは、取って17へ打って詰み、桂も取って28へ打てば詰む。
従って、第1図からのように35角の中合となるのだが・・・











<第2図>


第2図は初手から、53角、35角中合、とした局面。

ここから、35同角「成」、とすると、以下
16玉、25角、同金、17歩、15玉、25馬、同玉で詰まない・・・

そこで、第2図から、今度は不成で・・・











<再掲第2図>


今度は、第2図から、

35角「不成」として以下
16玉、17歩、25玉、36角まで。

あれれ、今度は簡単に詰んでしまった。
そこで冒頭のように、44歩と中合して詰方の角へ「成」「不成」の態度を打診する。











<第3図>


第3図は初手53角に44歩と態度を打診した中合。

まず打歩詰の局面が出てくる可能性があるので、
44同角「不成」といってみよう。

すると、第3図以降の手順を追っていただければわかるが、
44同角「不成」以下

16玉、17歩、25玉、35と、26玉、46と、36玉・・・
これは詰まない。

だから、44同角「成」といくしかない。











<再掲第3図>


再掲第3図から、今度は

44同角「成」、35角中合となる。

ここでも最初の時と変わらず、44同角「成」に16玉と逃げる手や、他の合駒は簡単。











<第4図>


第4図以下は、先の第2図からの逃れ手順と同じように進む。

すなわち、35角中合、に35同馬と取り、以下
16玉、25角、同金、17歩、15玉、25馬、同玉となって第5図











<第5図>


先の逃れ順と違って、打診で入手した、歩一枚がものを言う。
第5図以下は、

26歩!(値千金の一歩)、同玉、16金まで。

どうだろうか?
打診と言うものの原理がわかっていただけただろうか?
今回は、44の地点で成る成らないを聞いた。
これは、44の地点で一旦不成と行けば、もう二度と成れないことを見越しているのだが。
実は、場所に関係させると、例えば62角と打って、53へ打診合を成立させることも出来る。
事実そういった作品も発表されている。

この原理図を使って、わたくしはどう発展させたか、それはまた明日のお楽しみ。

   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

以前にも、詰将棋パラダイスのパソコン奮戦記に書いたが、わたくしたち人類にはおよそ二つの発達段階があったと思われる。

まずは、農耕文化の獲得によって余剰生産物が生まれ、階級や序列が出来上がったこと。
これによって、人類は現代の社会に近い人間の「位置」を獲得したと考えられる。
これは、自我そのものの不安をどのように解消するかと言う人類の永遠のテーマに、社会的な回答を示したものと言える。
自我はもともとそれを信じている人々に有効な「概念」にしか過ぎない。
確かにわたくしも、これを読んでいるあなたも「存在」しているが、例えば数千年前のある人を現代に連れてきたらどうなるか?

その人が「存在」しているのは、社会的な関係性のうちに認められた諸々によってである。
その諸々のものがこの現代にはまったくない上に、連れてこられた彼や彼女が自身を認める「概念」がないので、「存在」を示すことも、感じることも出来ないだろう。

だからわたくしたちが「存在」しているのは常に、何らかの形で社会的な諸々と触れてきているからに過ぎない。
その社会的な諸般は、自我を支えるためのものであり、それがないと自我は存在しなのと同じである。
そういういつも不安定な危機にさらされている自我の「場所」を社会は階級・序列などで示してきた。
そういう階級や序列は、自我が引き受けにくい様々なことを自身に言い聞かせるためにも必要な事項であったと思われる。
事実現代でも、その事情は変わっていない。

次に、人類が獲得したのが近代的自我である。
何気なく、わたくしたちは「あなたの意見を聞かせてください」とか「わたくしのかんがえは・・」などという言い回しをしているが、そんなものはこの近代的自我という概念が生まれるまでは、ほとんど存在しないのと同じだった。

西欧においては、すべてが神だった。
この世界も作ったのも、そうしてこの世界に終わりが来るのも、すべては神の意思であり、神の前ではわたくしたち人類は実に卑小な存在でしかなかった。

そこへ、ルネッサンスが起こった。
今まで、神の物語の絵を描いていた宮廷画家たちは、徐々に消えていき、「自画像」を描くものたちが現れる。
神の物語を歌にした宮廷音楽家に取って代わっていったのは、己の苦悩を管弦楽にたたきつけたベートヴェンを始めとした新たな世代の音楽家たちだった。

そこには、近代的な自我の萌芽があり、村は町へ、町は都市へと肥大するにつれて、自我の問題は大きな転換期を迎える。
ペテルブルグの巨人ドフトエフスキーは、その癲癇体質の向こうに、自我のほころびや崩壊を予言したと言っても過言ではない。
様々な分野で、自我の問題が予見され、現代の先駆が問題を提起していた。

そういった、文化的時代的背景を背に、わたくしたちは何気なく、自分であること、自分を確認することを、行っている。
しかし、その自我の獲得や維持に実は膨大なエネルギーを費やしている。

階級や序列の誕生と、近代的自我の誕生。
ふたつの物語が合体して、「国家」「宗教」「民族」等々の概念が作られ、わたくしたちは自分自身を自分であると確信している。
しかし、それは実に危うい均衡の元で成立しているに過ぎない。

そして、それに費やした対価か、いま重石(おもし)となってわたくしたち自身に圧(の)し掛かってきている。



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