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詰将棋作家の見た世界
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首猛夫
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2007/10/08 (Mon)










<二歩禁問題>

※この図面は、下の矢印などがある場所で、使い方は次の通り
 
 右から順番に

★回転(盤面を逆さにする)

★縦線が右についていて右方向を指している矢印(最終手まで一気に行く)、

★単なる右方向を指している矢印(次の手に行く)

★四角(手の解説があるときにここに!マークが入り、それを押すと盤面全体に解説が覆うように出てくる)

★単なる左方向を指している矢印(前の手に戻る)
縦線が左についていて左方向を指している矢印(初手まで一気に戻る)、

★「GO」この左横に数字を入れて、この「GO」を押すと、その手数の局面に飛ぶ


昨日の、打診問題の原理図は上の図のようになった。
この作品は、やはり詰将棋パラダイスの短大に投稿採用された。

少しむずかしいかも知れないが、がんばって解いてね。

あ、それと「般若一族とその時代」も新たに更新したので、そちらも見てね。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


幼い頃から、どうやら自分は他者と異なるところがあって、うまくいかないということは感じていた。
それは時には、「出来ない」とか「相手にされない」とか、あるいはまた「毛嫌いされている」と言うような形で表われ、他者と異なると言うよりは劣っていると言う自覚に近かった。

それがやがて、高校生あたりになると、どうもこの世の中の様々なものと波長が合わない自分を感じ始めるようになった。

高校をやめて、音楽家として仕事をして、しばらく独りになって、やっぱり他者とうまくやっていくのは無理と判断した。

それは、まるで異なった宗教の世界で生きているようなものかもしれない。
少なくとも日本人の描いている(わたくしは海外の人が描いているものがたりをよく知らなかったので)ものがたりには、同調できない部分が多かった。

もちろん、同調できないのは、普通の人々ならそんなに学習しなくても、幼い頃に刷り込まれた諸々で何とかできることが、わたくしには出来なかっただけのこと。
何か特別な主義や主張があって、日本的なものがたりに反発していたのではない。

例えば、謙虚さの美徳がわからない。
例えば、ただいたずらに歩調を合わせようとすることが出来ない。
(部長・課長・平社員で食事に行った時に、部下が上司より高くて豪勢なものを頼まないのが普通だとか、会議などで何か質問はと言うと、そこでは質問しないであとでこっそり聞きに行くとか)

こういうものは、おそらく何気なく幼い頃から刷り込まれたものだと思う。
こういう話を以前何かの場所で話したら、そんなことはない、みんな自分の意見は言うよとか、食べる時は好きなものを頼むよとかの返答が多かったが、実はその場になると違う。
こういう二枚舌も日本人の本音と建前と言う世界でこれもよくわからない。

とにかく、身なりや身だしなみと言ったものにもまったく関心がなく、今でも小麦粉やミルクのあとがついたズボンで毎日保険の営業に行っているが、誰一人としてそれを指摘するものもいないし、面倒だからそのままにしている。
51にもなるが、生まれてから、髪に櫛を通したこともほとんどない。

こういうわたくしには、日本人(わたくしの周りの人々という言い方のほうが正しいかな、とにかく外国人はまた違うのかもしれないがおそらく同じだろう)の描くものがたりの「ウソ」が見える。

なぜかと言えば、わたくしには必要ないものが彼らには必要で、しかもそれがなくてもわたくしは何とか生きているのに、彼らはそれがないと生きていけないと言っている。

たとえば、それは「差別」だ。

差別はいけないとされているが、一向になくならない。
なぜかって、それは「差別」は人類にとって必要だと思われるからだ。
少なくともわたくしの周囲=日本人には必要不可欠のようなものだといえる。

だいたい「~のくせに」という言い回しは、大体差別に繋がっている。

そうして、いけないとされながら消えないのは、「差別」することによって救済される「自我」があるからではないかと考えられる。

卑小で下らない「自我」を支えるために、もっと卑小で、もっと下らない「他者」を見出す。

そうしないと不安で不安で仕方がないんだと思う。

わたくしはその不安を、より「下等な存在」を見出したところで解決できないので、そのような「差別」不要なのだと思う。
それはおそらく、幼い頃の教育のなかで刷り込みに失敗したか、何かの原因でうまく刷り込めなかったために、起きたことだと思われる。

「差別」がこの世からなくなるためには、それを必要としない「自我」のあり方を検討しないといけない。
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