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詰将棋作家の見た世界
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首猛夫
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2008/04/03 (Thu)

食は本能が壊れてしまった人間にとって、単なる欲望を果たす行為とは言えなくなっている。
世界を見渡すと、ある民族の食習慣は、他の民族にとっては考えられないものであったりする。
日本人は蛸を食べるが、これが欧米人には信じがたい食文化らしい。

同様に、ゴキブリの一種を佃煮にして食べる文化が南アジアのほうにあるが、これをとても食として認められる日本人は少ないだろう。

言ってみれば、たんぱく質などの栄養を何によって得ようとしているかの問題であって、その地域性などが食文化を決めている。

そこで、捕鯨問題だが、なぜ鯨がいけないのかといえば、それは人間に近いものを感じるからではないだろうか?

映画「ジャイアンツ」で、子供たちが日頃遊んでいる七面鳥を、ハロウィンだったか何かの時に、食べるシーンがある。
自分たちが食べている肉が、仲良く遊んでいた七面鳥と聞いて子供たちが泣く。

人は、本能による自己の運営を離れたといってよい。
本能行動が壊れたと言う人もいるし、本能に勝る運営を獲得したと言う人もいる。
壊れていようが勝っていようが、とにかく本能行動を離れたところに、人類の行動原理が存在しているのは間違いない。

そうした人類は、くどいようだが「ものがたり」を作って自我をそこに当てはめて、運営をしている。

その中に食文化もある。
動物の本能レベルと人類の食文化とを比べて見れば、煮たい焼いたり、保存したり、それを盛り付けたり、その食器にこだわったり、と忙しいことこの上ない。
単なる、食の欲望を満たすだけなら、このような調理や盛り付けなどは一切不要である。
これを、文化にまで押し上げた(文化を本能に比べて上だという意識からすればこのように「押し上げた」と言う言い方になる)のは、人類の「食のものがたり」だろう。

それに他の民族や考えを持った人々がいろいろいちゃもんをつけたり、反対行動をとるのは、文化の差を認めようとしない傲慢な考えであろう。

例えば、豪州ではラム肉などを食べるが、羊を大好きな日本人が、これを許さないといったら、どうするのだろう?
そこで彼らがなぜ鯨が×なのかを、明らかにする必要がある。

おそらく今までの流れからいって、鯨は哺乳類であり、高等動物であり、人類に近い存在だからではないだろうか?

この考えは恐ろしいものを含んでいることに彼らは気がつかない。
優秀であるとか、人類に近いからというのであれば、反対に優秀でないもの、人類から遠いものであれば、食べても構わない、と言うことになる。

これは、食文化に伴うある種の残酷さを、優秀なものには許さず、劣等な者には平気で行うと言うもので、牛や豚は愚かだから殺しても構わないが、鯨は優秀だからダメと言うものである。
そのような考えが、第2次世界大戦でどれだけ恐ろしいことを引き起こしたかを、彼らは知らないのだろうか?

自分の考えや、行動を支える思想が、間違っているとは露とも思わない。
その傲慢さんも怖い。
少しでも考えれば、簡単にわかるこのようなことに気がつかないのは、心のそこで日本人そのものに対する憎悪の上が強いか、日本人そのものを劣っていると見ているからだろう。

スポーツやチェスなどの勝負を争う競技で、強豪が実力を出せずに負けるパターンの一つに、読みの独善がある。
相手を軽んじて、自分の読みの独善差に気がつかずに、相手の力に負けたと言うより、自ら転倒したに近い。

捕鯨問題と言うより、これを問題にして過激な行動をとっている一部の豪州人などの人々の、自らの存在を証明する「ものがたり」に何か歪んだものがあるという一面がクローズアップされているのだと思う。

人類は、いまだに戦争をやめられず、差別をやめられず、幾多の戦争や殺し合いから学んだ教訓を生かせないでいる。
簡単なことをいつまでも引きずってやめられないのは、そのような愚かな行動が実は自分たちの存在を証明するための行動で、必要不可欠になったいるからに他ならない。
そういった、内部の問題に目を向けずに、他民族が何を食べているかが気になるのは、(自分たちだって「優秀な羊たちを毎日屠殺している」にもかかわらずに!)、自らの犯罪を正当化して、他者の犯罪を非難している強盗のようなものだろう。

哀れ人類は、簡単なこともわからずに、20世紀の殺戮の世紀を引きずって、毎日殺しあっている。


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