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詰将棋作家の見た世界
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首猛夫
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2008/04/12 (Sat)

木を見て森を見ない

よく使われる言葉だ。
確かに瑣末(さまつ)なこと《=木》に目がいっては、全体《=森》が見えなくなる。
このようなことで《見えない》のではなくて、わたくしには

『現実の世界』

とそれを象(かたど)った 

『コトバの世界』

の両者の差がわからない。
もちろん現実の世界には机上の計算通りにはいかない難しさがあり、それを指して

『世の中そう理屈通りに、うまくはいかないものだ』

などと言う人が多い。

しかしそれは違う。
現にわたくしは保険の営業をして毎年表彰され、ご褒美に海外旅行に連れて行って貰えたが、その成功は机上の理屈から来たものである。
机上の計算と言うが、それらの大半は現実を無視したり美化したりするから、うまくいかないのであって、きちんと現実を反映させればほぼ計算通りの結果になる。
例えばわたくしが立てる一日の計画には実に休み時間が多い。
だいたい2時間の仕事に対して1時間の休憩を入れる。
そうしてあくまで自分の力量や環境を考慮して計画を立て、後は実行するのみ。

だから、わたくしに読み取れない《コトバの世界》は少し意味が異なる。

例えば、お世辞がわからない。

相手に対する過大な評価である《お世辞》には何らかの意図がある。
わたくしはどちらかと言うと、ものを作るのが好きで10代の頃から作曲したりパズルを作ったりしていた。

より素晴らしいものを作ろうと努力していた頃で、《お世辞》は不要だった。
むしろ厳しい評価や上を目指す動機付けになるような意見を欲していた。

つまり現実とコトバにズレがない世界に身を置いて生きたかった。
それ以外には興味も関心もなかった。

ただし、興味がないとか好きじゃないと言うのと、理解出来ないと言うのとでは、意味が異なる。
理解できないから避けてきたのでもなさそうだ。

相手がわたくしに《お世辞》を言うのには、それなりの意図がある。

おそらくそれは《お世辞》を言うことによって相手とわたくしの関係を良好な方向へと導けると思っているからだろう。

確かに他人から悪く言われるよりは良く言われる方が、気分はいいに決まっている。
歯の浮くような見え透いたお世辞だって気分はそう害さないだろう。

しかし、気分が良いと言うのと良好な関係が築けるのとは少し違う。

だから、まさか相手が「関係性の維持や、良好のために」過大な評価を持ってわたくしに接するとは夢想だにしないのである。
言葉を額面通りに受け取ると言うのは、まさにこのことで、現実の世界と言葉の世界が異なり、しかもそれらが、現実に根ざしていないものだとは、想定し得ない。

もしこれが、想定しうる範囲として、多くの人々が認識しているとすれば、それはとても恐ろしいことだった。
そして、それが本当のことで、幼い子供だってそのくらいの《お世辞》を言って、おじいちゃんやおばあちゃんから、お小遣いをせしめるくらいは朝飯前なのだ。

こういうわたくしは、幼い頃からよくからかわれた。
額面通りにしか受け取れない、わたくしのような者は、見ているほうは面白くてしょうがない。
ところが、からかわれたわたくしは、それがからかいなのかどうかもわからないので、からかう方はやがて、面白くなくなる。
やはり、からかわれたほうが口をとんがらせて、いろいろ不満を言ってくれないと、反応がないのではつまらない。

なぜ、他のほとんど多くの人々が、《お世辞》がわかるのに、わたくしにはわからないのだろうか?
いろいろ考えてみたが、わからないからこういう世界(わたくしのようなものが持つ文化)が出来上がったのか、あるいは反対に、こういう世界を持つものだから、《お世辞》がわからないのか?
結論は出ない。

ただ、そういうことがわからない人間なのだと言う認識を持ってからは、少し注意して、ある条件が重なると相手がそういう態度をとることが少し見えてきた。
文化の違う国に言って最初は戸惑っていたが、段々となれるにしたがって、ある程度の対応が可能になってきたのと同じことだ。

それにしても、《お世辞》が理解できない保険の営業職なんて・・・・

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