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詰将棋作家の見た世界
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首猛夫
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職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2024/04/25 (Thu)
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★2008/04/25 (Fri)

この頃相次いで他人をやたらに褒める人たちに出会った。

素晴らしいだのホンモノだのとやたらに周囲を褒めちぎる。

(因みに木村拓哉と言う芸能人が白人相手にIt's my plesure とカッコ付ける=少なくともCF制作サイドはそう感じている=シリーズで《ニコン、ホンモノ》と言う身の毛のよだつセリフがあるがあれと同じ)

確かにそうまで褒めなくともある程度良い人であったり、素敵な一面を持っている人であったりは認める。

が、大げさに騒ぎ立てるほどのものではない。

どうしてこんなに《素晴らしい》を連発するのかが最初はわからなった。

人が何かを隠して行動するときは何かしらピンと来る。

もっとも隠している本人も気がつかなかったり、隠している内容自体も大したことなかったりする。

何となく不自然を伴うので何かあるなと思われてしまう。

そうやってしばらく眺めながら考えているうちに気がついた。

彼らは

《素晴らしい人を素晴らしいと感じることの出来る自分を素晴らしい》

と思って
悦に入っているのだ。

または

《素晴らしい人間に囲まれている自分=素晴らしい人間に好かれているもっとも素晴らしい人間》


と感じているのかも知れない。

どちらにせよ、褒めているのは相手ではなく自分自身なのだ。

こういう人たちに特徴的なのは、強い自己愛だ。
本質的には他者にはほとんど関心がなく、いつも心の中では自分のことばかり考えている。

だから、他者を認める振りをして自己愛を訴える。

しかし、自己愛の強い人間ほど、挫折を味わうことになる。

なぜなら、自己愛の強さと現実を上手く切り抜ける力とは元々無関係で、いくら自己愛が強いからと言っても、社会での勝者になれないのであって、上手く立ち回れなかった時の挫折はさほど元々関心がないことなら構わないが、関心が強いほど大きくなる。


彼らはそうした挫折をも偽装する。

他者をもって評価の対象と偽装したのと同じく挫折も本来は自分にふりかかって来たものだが、まるで何もなかったかのように振舞えるのである。

どうしてこのように、自己愛の強い人間が出てきたのかと言えば、おそらく、日本的風土のなせる業ではないだろうか。

日本は、あくまで個人が伸びることよりも全体の利益を尊ぶ傾向にある。
もちろん、個人の業績は評価はされるが、あくまでそれは全体がうまく言ってのことである。
そうした中にあって、個人的な不断の努力が何かを実らせているのに、誰もそれを強く褒め称えてはくれない。
そのときに、自分がどれだけすごいかを、話せればよいのだが、日本的な美徳はそのような独善を嫌う。
だから、やたらに褒めるという屈折した行動に出るのである。

こういう人たちに共通しているのは、驚くほど冷淡な反応と無関心である。
あくまで自分と言う枠組みの中で、他者を熱く語るが、逆に言えば、自分と言う枠組みが無ければ、無関心で冷淡そのもの。

驚いたのは、この人たちの一人の家にわざわざ出向いていって、「実はガンになって大変だった」とこちらの話をしたのだが、そのとき彼は自分の話したい関心事で頭がいっぱいだったのだろう、「なあに、あんたなら大丈夫」と励ますや否や、自分の話ばかりだった。
これで驚いてはいけない。
その後半年たって、手紙でがんのことを書いたら、

「え!がんだったの、俺知らなかったよ、大丈夫?」

と真顔で聞かれたときだった。

もちろん悪気は無いのだが、元々他人であるわたくしががんであること自体には、全くといっていいほど関心が無いのであろう。

こういう人たちはまた、話が総じて長い傾向にある。
それもほとんどが自分の自慢話である。
そして、例によって、直接的ではなく、間接的に相手にすごいといってもらいたい言わせたいものだから、回りくどい上に、粘着的だ。

そしてそういう自分には全く気付いていない。

最後に、この話をこのうちの一人に話をしたら、

「そういうのっているよね、やだなあ、そういう奴、俺嫌いだよ」

と言ってのけたのには、心底たまげた。

 

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