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詰将棋作家の見た世界
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HN:
首猛夫
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2008/04/28 (Mon)
誰しも多少は自分を《当然の存在》として認識している。
 《当然の存在》それはわたくしの造語。
人としての何らかのあり方や方法について尋ねられて そんなの当然XXでしょう 答えられるそのような人のことを指す。

 もし《当然の存在》が失われると、ほとんどすべての自分自身に起きていることに懐疑的でなければならなくなる。

 しかし同時にその度合いが強いのも考えもので、常に当然と思うのは、考える余地もなくある種の事柄に、同意を強要している。

実はその人が、 属しているある社会性の集団の中では「当然」と思われているに過ぎない。
だから、そのように共通の集団に加入している(あるいは、勝手に自分はその集団の一員だと思っている場合もある)自分を再認識する為にも、《当然の存在》口にする。

所得格差を如実にあらわすような、地区が日本のあちらこちらには点在している。
たとえば、「山の手」にたいする「下町」であるとか。
そのような場所や何かの地位、社会的場所を示すところに、自分自身が帰属しているという意識が、《当然の存在》を成立させている。

そのような社会的場所を何らかの形で見出し、あるいは同化し、そういう「仲間」とうまくやっていくのは、大切なことだ。
そうすることによって、元々社会的存在ではありえなかった人々を社会につなぐ大切な役割を果たしている。

問題は、わたくしのように、そういう場所が中々見つからずに苦労したものたちだと思う。
行き着くところは「へんてこりん村」の住人でしかなかった。

しかし、わたくしも、わたくしなりの、《当然の存在》を毎日このブログで発信している。
ただし、相変わらず、このわたくしの、《当然の存在》は中々受け入れてもらえないようだ。
さびしい限りだ。

           
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