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詰将棋作家の見た世界
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HN:
首猛夫
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2008/05/15 (Thu)
医者は奇跡だという。
そう、確かにこれだけの悪条件が揃っているのに、今なお、いのち永らえている。

そして、今日一日午前5時からずっと辛い状態が続いている。
食欲もなく、脂汗が浮き出し、眩暈がする。
焦点は定まらず、眼(まなこ)は宙を泳ぎ、思いは澱んで膨れ上がる。

最悪の一日が、どこへ行く当てもなく、終わろうとしている。

そして、このひどい状態の夜の底で、最後の魂の声を振り絞る。
そう、これこそが真に前向きに歩もうとするぼくの必死の形だ。

普通にはできっこない。
ぼくは明らかに何かの力によって引き付けられている。
それが何の力かは分からない。

しかし、それは確実にぼくのかたわらにいる。

説明できない何か特別なものの力。
それによって彩られる、ぼくの人生。
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★2008/05/14 (Wed)

あまり、表題のような話は聞くことがないのではないだろうか?
三桁といない、長編詰将棋作家たちはそれぞれがそれぞれの場所で、何かの手がかりを足場に、作っている。

長編といっても、主に三つの光景がある。
一つは、繰返し趣向そのものが長く、多く繰り返されるので、それだけで長編になってしまうもの。
また、内容を追うことにより、自然に長編になっていくもの。
そして最後に、主題そのものが長編でなければ表せないもの。

わたくしはこの最後の

「主題そのものが長編でなければ表せないもの」

というのが、好きだ。

駒場和男氏の「父帰る」「かぐや姫」など、おそらくその創作的な動機、手法、等々完璧なほどに狂おしいほど、長編であることを意識して作られた作品群であろう。

ものがたりを、歴史の底に潜め、日本的なあまりに日本的な日常を背景に作られた芸術作品。
これほどまでに、その高い品格を持った作品があったであろうか。

★2008/05/13 (Tue)
ガン性疼痛の痛みのコントロールを主治医から、投薬を受けた。

痛みはその人その人で全く違う。
また、、薬の利き方も個人差が大きいので、その量やタイミングについては自分で工夫するように言われていた。

それに失敗した。

今朝から、痛みがひどく、そこからくるのか、食欲もなく気持ち悪い上に、だるい。

ということで、本日はお休みです。

★2008/05/12 (Mon)

常識がない

日頃、わたくしたちが目にする光景の中で、「思わず目を疑う」ことが間々ある。
そして、そういう人が増えたとマスメディアでは伝えてくれる。
最近では、子供の授業料や給食費の未払いや、救急車の呼び方、学校にクレームをつける親の姿(=モンスター・ペアレンツ)など。

例を挙げてみよう。

給食費の未払いを続ける家庭を訪問、さんざん支払いを渋り、その言い訳が転職等が重なって今は支払えないということだった。
しかしその翌日、夫婦でパチンコスロットル(パチスロ)で十万円損したと、帰りの一杯飲み屋で大声で嘯いているのを、たまたま居合わせた担任が聞いてしまった。

翌週、副校長を伴って、担任が再度家庭訪問をしたところ、逆切れされ、

「お前ら、子供のために朝から晩まで身を粉にして働いて、くたくたになってる俺らに、『趣味娯楽の一つもやってはならん』と、そこまで指図するんかあ!」

と、啖呵を切られた。

また救急車を呼ぶ理由が、

「うちの子が、食べないのよぉ、どんどん食が細くなって、このままじゃ死んじゃうわ」

「お子様はおいくつ?」
「3才」
「男の子?女の子?」
「女の子」
「何かご病気にかかっていらっしゃいますか」
「具体的な病名はまだ」
「といいますと?」
「先月去勢したばかりなの」
「????」
「そのとき、何かの感染症だったのかしら?」
「????」
「ねえ、ちゃんと聞いてるの?」
「あのう、お子様は、人の子ですか?」
「え?、チワワよ、うちのメリーちゃんは。あんた何聞いてんのよぉ」


これが119番の救急救命センターにかかってくる電話である。

また、授業参観に関するある母親の話。

「xx先生でいらっしゃいますか」
「はあ、担任のxxですが」
「いつも、ムスコがお世話になっております」
「いえいえ」
「実は来週の授業参観の件なんですが」
「何でしょうか」
「じつは、家のムスコが通っている、俳優養成所の先生が見に来てくれるんですよ」
「はあ」
「そこで、わたくし、先生が授業参観やりやすいように、脚本書いてきましたので」
「はあ?」
「台本ですよ、台本、それに従ってやって欲しいんですの」
「でも、あくまでこれは・・・」
「あ、ご心配なさらないで、そこでミスったら元も子もないでしょ」
「でもそういう問題ではなくて、公共の・・・」
「で・す・か・ら、『キッパリと』私どもに従えば安心ですの」


これを汝笑うなかれ、こういう輩(やから)が他人事ではない。
同じようなことがあなたにも確実に潜んでいる・・・

 

★2008/05/11 (Sun)
北京オリンピックを目前に控え、チベット問題がクローズアップされた。
発端は、チベット自治区での暴動である。
人権の問題、宗教的背景、民族への弾圧、等々様々な諸問題が織り交ざっていて簡単ではないことはわかる。

しかも、時期的に北京オリンピックと重なるので、開会式への不参加を表明している欧州の首脳もいて、穏やかには済まされない話になってきている。

しかし、今回わたくしが理解できないのは、チベットで何がどう起きているのかがなぜわかるのかという点である。
報道でわかる、ある程度のことが見えるということなのだろうか?

だとしたら、少し危険な見方である。
宗教・民族などの問題は、繊細な部分を持っていて、白黒で決着をつけるような、単純さを持っていない。

問題の複雑性を考えると、単純な見方が出来ない。
しかし、そこを差し引いても、なおこの問題にある形での評価が、出来るのはおかしい。

チベットに関して言えば、ほとんどの日本人は、日本にいて日頃からさほど関心がないはずだ。
それが証拠に、ほとんどのメディアでいままで大きくチベットの問題を取り上げた過去がない。
そういったことを踏まえて、この問題に関して一定の評価が下されているとしたら、それは思い込みや、何らかの他の問題との混同や、意図的な恣意性を感じる。

わたくしが理解できないのはまさにここである。
乏しい情報量や、不確実な報道に対して、正直な感想は、「わからない」でいいと思う。
しかし、今回のことでは、なぜか中国に対して厳しい評価が下されている。
それは間違いだと思う。
結果的にはそれが正しかったということもあるだろうし、今回はその線が濃厚だと思う気持ちもわからなくはない。
けれど、原則は原則、不確実な情報での判断はまずい。

そして、このような意味合いでの、見切り発車的な判断評価が実に多いような気がする。
逆に言えばわたくしたちの周囲に起きていることがあまりにも仮想現実との区別がつかないようなものになってきている。
遠くの国のことも、隣近所に起きたことも、マスメディアにかかればすべて並列に並んでしまう。

しかし、あれだけ他国の教科書に書いてあることが「気に入らない」と散々内政干渉をしておきながら、いざ今回のようなことが起きると、「内政干渉だ」と非難してくるところが、おかしい。

この辺の一貫性のなさ、手前味噌な考え方が、チベット問題で不利な見方をされる遠因のような気がするがどうだろうか?
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★ ILLUSTRATION BY nyao