★ カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
★ フリーエリア
★ 最新CM
★ 最新TB
★ プロフィール
HN:
首猛夫
HP:
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
★ ブログ内検索
★ アーカイブ
★ カウンター
★2008/02/08 (Fri)
マスメディアによる、失言の追及。
国会議員や大臣は歴史的に見て、幾多の失言を繰り返している。
差別的な発言や、心ない中傷、思わず本音が出てしまって失脚した大臣もいる。
およそ、マスメディアに露出の多い人々は、それだけ世の中に対する影響も大きい。
それゆえにCMに起用されたり、イメージキャラクターになったり、引っ張りだこになる。
倖田來未さんもその一人で、歌やダンスだけでなく、その生きている様が、若者を虜にしている。
ファッションや、その生活姿勢、好みに到るまで。
だからこそ、幾多の一流企業のCMに出演している。
その人が、つまらないことを言ってしまった。
つまらないだけならいいのだが、その言葉によって傷つく人も大勢いるだろうとのことで、
CM企業が次々彼女を降ろすことになった。
そして、謝罪となる。
その謝罪が、あらかじめとられたビデオだということで、不満が出始めている。
わたくしたちは、日ごろ食事などを共にする、同僚や知人、あるいは友人などと、
世の中の様々なことを話す。
そこでは忌憚のない本音が語られる。
そこには放送コードに触れるような話も多々あり、差別的な話もある。
しかしそれが、日常生活であり、多くの人々は本年と建前をうまく使い分けている。
この多くの人々もまた、公共の前ということになれば、当然ある種の制約を受け、
建前で話すことが要請される。
それが出来ないのなら、公共の放送には出られない。
そういう「チェック」がわたくしには恐ろしい。
彼女の言葉には確かに毒があったと思う。
しかしそれで傷つくのだろうか?
心ない言葉を聞くことは、この世のどこにでもある風景だと思う。
それを、公共放送の中では「きれい」にすると言うのはいかなる意図なのだろうか?
ダメだよそんなこと言っちゃ
と叱れば良いのではなかろうか?
少しでも外れた言葉があって、それを許さないと言うことになって、一定の基準を満たす謝罪がなければ
いつまでも許さない、そういう風潮がコワイ。
わたくしたちは、みんな毒をもっている。
その毒は確かに他者を傷つける。
現実には、心を傷つけるどころか、毎日のように殺人事件が報道され、いじめで自殺する人々がいて、
心中のような悲惨なことも起きている。
そういう、毒をわたくしたちは持っている。
それを全くなかったかのように、またそれを絶対許さないかのように、
失言は追求され、謝罪を求められる。
だったら、現実のこの世の中に起きている、もっと悲惨でもっと傷つける恐ろしい諸々を
なぜ追求しないのだろうか?
わたくしたちが、なぜ心の底に毒を持っているのか?
それをなくすにはどうしたらよいのか?
そういった議論はせずに、倖田來未さんのケースは追求され謝罪を求められる。
追及する人々にはたして毒はないのか?
あなたは誰かを傷つけてしまったことはないのでしょうか?
国会議員や大臣は歴史的に見て、幾多の失言を繰り返している。
差別的な発言や、心ない中傷、思わず本音が出てしまって失脚した大臣もいる。
およそ、マスメディアに露出の多い人々は、それだけ世の中に対する影響も大きい。
それゆえにCMに起用されたり、イメージキャラクターになったり、引っ張りだこになる。
倖田來未さんもその一人で、歌やダンスだけでなく、その生きている様が、若者を虜にしている。
ファッションや、その生活姿勢、好みに到るまで。
だからこそ、幾多の一流企業のCMに出演している。
その人が、つまらないことを言ってしまった。
つまらないだけならいいのだが、その言葉によって傷つく人も大勢いるだろうとのことで、
CM企業が次々彼女を降ろすことになった。
そして、謝罪となる。
その謝罪が、あらかじめとられたビデオだということで、不満が出始めている。
わたくしたちは、日ごろ食事などを共にする、同僚や知人、あるいは友人などと、
世の中の様々なことを話す。
そこでは忌憚のない本音が語られる。
そこには放送コードに触れるような話も多々あり、差別的な話もある。
しかしそれが、日常生活であり、多くの人々は本年と建前をうまく使い分けている。
この多くの人々もまた、公共の前ということになれば、当然ある種の制約を受け、
建前で話すことが要請される。
それが出来ないのなら、公共の放送には出られない。
そういう「チェック」がわたくしには恐ろしい。
彼女の言葉には確かに毒があったと思う。
しかしそれで傷つくのだろうか?
心ない言葉を聞くことは、この世のどこにでもある風景だと思う。
それを、公共放送の中では「きれい」にすると言うのはいかなる意図なのだろうか?
ダメだよそんなこと言っちゃ
と叱れば良いのではなかろうか?
少しでも外れた言葉があって、それを許さないと言うことになって、一定の基準を満たす謝罪がなければ
いつまでも許さない、そういう風潮がコワイ。
わたくしたちは、みんな毒をもっている。
その毒は確かに他者を傷つける。
現実には、心を傷つけるどころか、毎日のように殺人事件が報道され、いじめで自殺する人々がいて、
心中のような悲惨なことも起きている。
そういう、毒をわたくしたちは持っている。
それを全くなかったかのように、またそれを絶対許さないかのように、
失言は追求され、謝罪を求められる。
だったら、現実のこの世の中に起きている、もっと悲惨でもっと傷つける恐ろしい諸々を
なぜ追求しないのだろうか?
わたくしたちが、なぜ心の底に毒を持っているのか?
それをなくすにはどうしたらよいのか?
そういった議論はせずに、倖田來未さんのケースは追求され謝罪を求められる。
追及する人々にはたして毒はないのか?
あなたは誰かを傷つけてしまったことはないのでしょうか?
PR