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詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
指し将棋の世界の進歩。
特にここ十数年の進歩は、それ以前の進歩とは明らかに異なる。
それは、茫洋として、感覚的にしか見えなかったものを、はっきり見つめるようになったことだ。
あまりに複雑で、判断が困難な状況に対して、
「どう指しても一局」
などという曖昧模糊とした判断が通用していたのだ。
ではそのような変化は誰がどんな形で表したのだろうか
まず、それは米長永世棋聖によってもたらされた。
低段の頃から異常な終盤力を持って、将棋をひっくり返していた。
言葉は悪いかもしれないが、序盤はC級、中盤はB級、終盤はA級といわれ、あまりの落差にたいていの人は同じ人が指しているとは思えないほどだったらしい。
米長永世棋聖の偉業は、形成判断と実際の具体性とを結びつけたところにある。
いまさら何を言うのだと怒られるかもしれないが、実際に「これにて先手良し」といわれた局面から、勝つまでは大変だということを実践して見せてくれたのだ。
序盤から終盤までを一本の線でつなぎ、それを最初に示してくれたのは、升田幸三九段と言われているが、実際に多岐にわたり中終盤の形勢を具体的な勝利の方程式に結びつけるのは至難の業だった。
わたくしたちが、何気なく手にとって読んでいる定石の本。
そこに、何の代償もなく一歩損すれば、負けに繋がると書いてある。
しかしそれはうそだといいたくなる。
その勝利に繋がるための「具体的手順」の複雑怪奇で難解極まりない内容といったら、天才米長をもってしてもこれだけの時間がかかったかと思う。
しかし、米長永世棋聖はやってのけた。
まずかけ離れた彼自身の内側の差をなくすべく、若手に教えを請うような形で、序盤を勉強した。
これは、恐ろしいことである。
地位も名誉も、すべてを投げ打って、彼は名人に成るべくして成るものとしての自身を磨いていたのである。
そして、真にものごと(この場合は将棋)の本質を究明するものだけに与えられる、特殊な空間を認知する恩恵を受けたのである。
そして、彼は名人になった。
その歴史的名誉よりも、彼自身の真の偉業は、将棋とは何かということに人類がある決着を付けたその瞬間に立ち会えたことだろう。
いまや、米長永世棋聖の予言したとおりに、将棋界の勢力地図は進んでいる。
そして、その勢力を維持している先頭集団こそ、米長永世棋聖によって歴史の扉を開けてもらった者たちなのである。