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詰将棋作家の見た世界
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首猛夫
性別:
男性
職業:
怪しい金融業
趣味:
詰将棋創作 音楽演奏
自己紹介:
昭和31年9月、東京生まれ。
詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
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★2008/04/20 (Sun)

少し前に、歌手が「羊水が腐る云々」とラジオ番組でしゃべって、物議をかもし出したことがある。
当然、世の中のパッシングはすさまじいものがあって、歌手はしばらくの間活動を自粛を余儀なくされた。
いわく、さまざまな人々から「傷つけらた」との苦言が続出とのこと。

しかし、わたくしはこれが不思議でしょうがない。
本当に羊水は腐るのだろうか?
もし腐るのだったら、真実を言っているのに過ぎないので傷つくと言うのは被害妄想である。
そんなことがないと言うのなら、それは真実ではないのだから、相手にしなければいいのではなかろうか。
間違ったことをいう人間はどこにでもいる。
そんなことに一々傷ついていたのでは、毎日毎日大変なことになる。

間違ったことを言われたり、根拠のない非難を浴びたり、そんなことはないほうが言いに決まっているが、例えばそのような勘違い、あるいは悪意のない誤解など、いくjらでもある。
うかつでは済まされないこともあるのだろうが、何も傷つくことはない。
そう思ったときに、わたくし自身ー傷つくとは一体何かーを考えたことがないことに気がついた。

人はなぜ、言葉や態度などで傷つくのだろうか?

本来、評価されても当然ことを評価されなかったり、あるいは非難を受けるような理由がないのに非難されたり、そのような自分にとって不利な状態が、納得できない理由で起きた時に、傷つくと言うのではないだろうか?

しかも、その発言や動作などが、自分の住んでいる世界の中で行われたり、自分が強く同一性を持っている場所で行われればなおさらではないだろうか?


このもたらされた不利な状態そのものが問題ではなく、

1:それがいかなる理由でなされたのか
2:そのもたらされた場所がどこか

この二つがどうやら鍵となるようだ。

例えば、明らかにお酒を飲んでいて酩酊状態にあるおじいちゃんが道端で、大きな声で歌を歌いながら、時々「女はばかだよなあ」とほえているのを聞いたことがある。

また、仕事でちょっとした失敗をした女性に「女はばかだから困る」と言われて、ひどく傷ついたと言って泣いていた女性がいた。

この二つは、もたらされ方も、その場所も異なる。
そのことによって、傷ついたり傷つかなかったりするのである。

酔っ払いのたわごとなら傷つかず、仕事上の上司なら傷つく。
関係のない道端での出来事なら、問題ないが、自分の職場で起きれば傷つく。

これは「自分の領域」で起きたことについて、傷つくのであって、それ以外の場所では傷つかないと言うことであろう。
しかしこれは変な話だ。

利害関係と傷つくこととは一緒なのだろうか?

わたくしには到底理解できないことだらけなのだが、一つだけなるほどと思ったことがある。
それは、相手にするしないの問題である。

実に下らなく自分の保身しか考えないような、相手にするだけでもつまらないような、取るに足らない人間の、復讐(それも勝手な被害妄想を根拠にしている)のために、こちらの揚げ足を取るつもりで、言った人を傷つけるような一言。

これを真剣に捕らえると確かに、来ているほうは辛い。

ひどい言葉はいくらでもあるが、このときのコトバはいわれたほうの生い立ちに関することで、本人にはどうすることも出来ずにしかも心の底では、悔やんでも悔やみきれないわだかまりのあること。
それを見透かしたかのような、肺腑をえぐるようなコトバは到底許せるものではない。

しかし考えても見たまえ。
そのような、人のコトバは相手にしないことだ。
もちろん、コトバそのものは言った人の口から放たれ、一人歩きするかもしれない。
しかし、下らんことは世の中にいくらでもある。
まずは相手にしないこと。
これが大切だ。

第一、言ったほうは、相手にしてもらえることを計算に入れて、いろいろ言ってくるのだろうから。

しかし、「ものがたり」が破綻している、わたくしのような者には、おそらく「傷つくこと」は一生ないだろう。
それがいいことなのか悲しいことなのか、わたくしにはよくわからない。


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