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詰将棋作家集団「般若一族」の生き残り。
詰将棋創作以外に、作曲(約100曲くらい)音楽演奏(ベース)。
人間についても、自閉的観点からいろいろ考えている。
ブルースというと、日本人のほとんどは何らかのイメージで誤解している。
黒人音楽=暗い=ブルーな雰囲気
まさにベタな発想で、ブルースを誤解している。
ブルース(正確にはブルーズと発音する)は黒人音楽の一形態で、その音楽形式は定型的なものである。
しかし、中にはこの形式を遠くはなれてやはりブルースである楽曲も存在する。
例えば、スキップ・ジェームスのハード・タイム・キリングフロー・ブルースは東洋風な感触がある。
まさかこれがブルース?と最初は驚いたが、何百回と聞くうちにその背景にブルースの魂があることに気付かされる。
ブルースは、おそらく世界で初めての試みである一面を持っている。
それは、かなり個人的な事柄を、みんなの前で歌うことである。
有名なクロスロード・ブルースには、
「十字路に来て、へたり込んだ。
友達のウィーリー・ブラウンに伝えてくれ、俺は何とかやっていると。」
と言う一節があるが、まさに個人的なことを、大衆の前で歌う。
また、プリーチン・ブルースは
「今日は日曜日、教会行ってお祈りするか、それとも彼女のところ行こうか」
と迷う心を、歌っている。
それまでの音楽や、これ以降の音楽にも、このような歌詞が付くものは、ブルース以外にない。
こういう発想こそがブルースだ。
「朝起きたら、寝室にブルースがやってきた」
こういう表現を一々訳すのではなく、この感覚を共有化しないと基本的には理解できない。
そして何よりブルースがすごかったのは、楽曲の形式にとらわれることなく、様々な音楽の形に変化しながら、発展していったことにある。
初期のデルタブルースは、黒人の労働力が南部の綿畑を離れ、シカゴの重工業地帯へと向かって、北へ北へと伸びていくように、変化してきた。
数人~十数人の前で歌うブルースから、ジューク・ジョイントという少し大きな数十人入る酒場で歌うブルースに変わる。
楽器も、大きな音が出る金属の反響版が付くナショナルギターが登場する。
そして、シカゴを舞台としたアーバン・ブルースになると、ドラムやベースに負けないように、エレキギターが登場する。
アーサー・クルー・ダップはエレキ・ギターの初期の人だが、彼の歌をカバーしてデビューしたのが、エルビス・プレスリーだ。
そうしてブルースは、歌い手の要請や、聞き手の要望によって、その表現スタイルを変えて、発展してきた。
このような自由度が高く、しかも人間の心の奥底を、日常の中から自然に歌う、奇蹟的な表現方法を持つ、不思議な楽曲形式、まさにブルースの発想は音楽の可能性を無限に広げている。